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ジラール・ペルゴ「ヴィンテージ 1945」にまつわる名前の由来を探る

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  • ジラール・ペルゴ「ヴィンテージ 1945」にまつわる名前の由来を探る


    どんなものにも名前があり、名前にはどれも意味や名付けられた理由がある。では、有名なあの時計のあの名前には、どんな由来があるのだろうか? このコラムでは、時計にまつわる名前の秘密を探り、その逸話とともに紹介する。
    今回は、アールデコ調の角型時計としてジラール・ペルゴを代表するアイコンモデルのひとつである「ヴィンテージ 1945」の名前の由来をひもとく。
    福田 豊:取材・文 Text by Yutaka Fukuda 2020年4月掲載記事
    ジラール・ペルゴ「ヴィンテージ 1945」


    《 1940年代製の角型時計 「ヴィンテージ 1945」のモチーフは、1945年に作られた角型時計とされる。上のモデルは、そのモチーフを彷彿とさせる同時代の1940年代に製造された角型時計。1940年代らしく、ケースは金張り(ゴールドフィルド)とステンレススティールのコンビネーション。残念ながら、文字盤が書き換えられているため、このモデルから原型となった当時のオリジナルを想像するのは困難だ。手巻き(Cal.GP86)。17石。SS×18KPGフィルド。非防水。ジラール・ペルゴ所蔵。 》
    ジラール・ペルゴの「ヴィンテージ 1945」が誕生したのは1995年。モデル名の由来は、1945年に製作されたモデルをモチーフにした、ということである。
    「ヴィンテージ 1945」を誕生させたのは、故ルイジ・マカルーソだ。1987年よりジラール・ペルゴの経営に参加。1992年にCEOとなったマカルーソは、かねてより社内にコレクションされていた1970年代末までのクラシックモデルのいくつかを復刻することを計画。そのひとつとして1945年製のレクタンギュラーケースのモデルが選ばれたのだ。
    「ヴィンテージ 1945」が登場する前年の1994年には、やはり角型ケースのクラシックモデルを復刻した「ヴィンテージ94」をブランド創業203周年記念として世界限定203本で発売。その成功から「ヴィンテージ 1945」も成功させる自信があったのだろう。そして、その通りに「ヴィンテージ 1945」もまた当初は限定生産の予定であったが、反響の大きさからレギュラー化されることになったのだ。

    ルイジ・マカルーソ 1948年6月9日、イタリア・トリノ生まれ。82年にイタリアで時計卸売会社を設立。87年、同国におけるジラール・ペルゴの正規輸入代理店となる。89年、ジラール・ペルゴ社の株式を取得し、同社取締役会のメンバーに加わる。92年9月15日には同社を買収し、社長に就任。以降、94年から11年間にわたりフェラーリとパートナーシップを結び、ダブルネームモデルを発表(現在、契約は終了)したり、積極的に研究開発を推進し、自社開発ムーブメントを発表することで“マニュファクチュール”という概念を高級時計にもたらし、マーケティングに活用したりと、高級時計の復興と世界的なブームに多大な影響を与えた。2010年10月27日逝去。 》
    当時のことをマカルーソはインタビューでこう語っている。
    「1995年に『ヴィンテージ 1945』を復刻したのはデザインの素晴らしさゆえです。それにアールデコを基調としたデザインが、その当時にモダンデザインと受け止められることが、私には直感的に分かりました。だからそれを作ることがブランドの個性を発揮できる最良の方法のひとつだと思ったのです」
    「それと、当時はジラール・ペルゴに角型の時計がなかったことも要因です。いうまでもなく丸型と角型では時計が表現するエスプリやキャラクターは同じではない。だから『ヴィンテージ 1945』のデザインを復活させることで、そこに生まれるであろう新しいスタイルに、私自身が興味があったのです」
    「果たして、その結果は、大成功でした。復刻版は限定生産の予定だったのですが反響が素晴らしかった。そこで、実は当初からそうするつもりではあったのですが、レギュラー化をしたのです」
     というように「ヴィンテージ 1945」はマカルーソの自信作として大成功を納め、ジラール・ペルゴを代表する定番となった。だが筆者は以前より疑問を持っている。それは「ヴィンテージ 1945」は本当に1945年のモデルがモチーフなのか、ということだ。
    「ヴィンテージ 1945」のデザインはアールデコだとされている。そして、それは確かにその通り。ベゼルからサイドへとセットバックしたレクタンギュラーケースや、特徴的な三角形のラグ、印象深いゴドロン装飾など、どれもが典型的なアールデコの様式ということができる。だが、しかしだ。
     アールデコの全盛は1920~1930年代。そしてこの時期、ジラール・ペルゴはアメリカのマーケットに注力すべく、ニューヨークに組み立て工場を設立。当時のアメリカで人気を博していた、まさにアールデコスタイルのレクタンギュラーケースのモデルで大きな成功を収めている。すなわち、ジラール・ペルゴはアールデコの名手でもあったのである。
    ヴィンテージ1945 ジャパンブルー限定モデル 1861年、幕末の日本にいち早く正規販売代理店を開設したジラール・ペルゴ。その前年にブランドファミリーの一員であるフランソワ・ペルゴが初来日したのだが、当時の日本は人々の衣服から店舗の暖簾まで、至る所に藍染が溢れていたという。1874年に来日した英国の化学者ロバート・アトキンソンは、その色に衝撃を受け、「ジャパンブルー」と記録している。そんな「ジャパンブルー」を彷彿とさせるのが2019年に発売されたこの日本限定モデルだ。クリーンな白文字盤に藍色のローマンインデックスを配し、さらにブルーの時分秒針を組み合わせたフェイスは、清新溌剌な印象を与える。自動巻き(Cal.GP03300-0035)。28石。2万8800振動/時。SSケース(縦33.30×横32.46mm)。パワーリザーブ約46時間。30m防水。日本限定100本。116万円(税別)。 》
    そのため、こう思うのだ。「ヴィンテージ 1945」のデザインはその当時の、つまり1920~1930年代に生まれたデザインではないのか?
     実際、セットバックしたケースや、三角形のラグ、ゴドロン装飾など、そうしたデザインが1945年に初出というのは多分に時代遅れの感がある。だから1920~1930年代のデザインのモデルが長年作られていて、その中からマカルーソが選んだモデルが、たまたま1945年製であった、ということなのではないのか?
     そしてさらに、こうも思うのだ。そもそもマカルーソの選んだモデルは1945年製だったのだろうか、と。
     というのも、1945年製ならば1995年の発表時に「誕生50周年」と高らかに謳える。そこが重要だったのではないか? 何しろ前年に「ブランド創業203周年記念」「世界限定203本」などという中途半端な謳い文句を掲げていたのだから。それに比べると「誕生50周年」というのは遙かに意味深く、魅力的で説得力のある素晴らしいセールストークになる。だから、1945年のモデルの復刻作、ということにしたかった。そうなのではないだろうか?
     と、まぁ、そういうわけで、筆者は個人的に「ヴィンテージ 1945」が1945年に製作されたモデルをモチーフにした、というのをまったく信じていない。しかし、時計史に残る名作であることは深く信じている。そして今年は「ヴィンテージ 1945」の誕生25周年(あえて誕生75周年とは言わない)。果たして、どんな記念モデルが登場するのか、大いに楽しみだ。
    Contact info: ソーウインド ジャパン Tel.03-5211-1791

    福田 豊/ふくだ・ゆたか ライター、編集者。『LEON』『MADURO』などで男のライフスタイル全般について執筆。webマガジン『FORZA STYLE』にて時計連載や動画出演など多数。


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