どんなものにも名前があり、名前にはどれも意味や名付けられた理由がある。では、有名なあの時計のあの名前には、どんな由来があるのだろうか? このコラムでは、時計にまつわる名前の秘密を探り、その逸話とともに紹介する。
第19回は、1919年に誕生したカルティエのロングセラーコレクションのひとつ、「タンク」の名前の由来をひもとく。
福田 豊:取材・文 Text by Yutaka Fukuda 吉江正倫:写真 Photographs by Masanori Yoshie (2020年12月12日掲載記事)
カルティエ「タンク」
Vincent Wulveryck, Collection Cartier © Cartier
《 カルティエ「タンク」初期モデル 1917年にプロトタイプが製作され、その2年後に発売された「タンク」。写真は、1920年に製造された「タンク」の初期のモデル。創業一族のルイ・カルティエが、上から見た戦車(タンク)の形から着想を得て、ケースを操縦室に、左右のベゼルとラグに相当するフレームをキャタピラーに見立ててデザインしたと言われている。今やカルティエを代表するロングセラーコレクションのひとつである。 》
カルティエの「タンク」が誕生したのは1919年。公式資料によると、プロトタイプが製作されたのが1917年。ルイ・カルティエがルノー製の戦車の平面図からインスピレーションを得てデザインした、とされている。
《 カルティエ創業家の面々。カルティエ2代目のアルフレッド・カルティエ(右からふたり目)と、カルティエを世界的なブランドへと成長させた彼の3人の息子たち。左から2番目がタンクをデザインしたルイ・カルティエ。右端がピエールで左端がジャック(左)。ピエールは1902年にロンドン支店を開設後、1906年にロンドン支店をジャックへと引き継ぎ、1909年にニューヨーク支店を開く。 》
この「戦車の平面図」というエピソードは有名で、カルティエの資料にはもちろん、雑誌や書籍などでも数多く見ることができる。かくいう筆者も若かりしころに、何度となく書かせてもらっている。
と、まぁ、そういうわけで、「タンク」の名前の由来が「戦車」=「タンク」であることは、改めていうまでもないだろう。
《 フランコ・コローニは当初、タンクのデザインは「ルノー製の戦車の平面図からインスピレーションを得た」と記していた。タンクが発売される2年前の1917年に製作されたプロトタイプは、第1次世界大戦中にヨーロッパ派遣軍総司令官として活躍したアメリカのジョン・パーシング将軍(1860-1948)に寄贈された。 》
で、ここからは個人的な話だ。筆者はあるとき、このエピソードに大いに疑問をもったのである。
というのも、戦車は第1次世界大戦中にイギリスが開発。その初号機である「Mark.Ⅰ」が初めて実戦で使用されたのは、1916年9月15日のソンムの戦いでのことであった。
以降、戦車の活躍は日々、ヨーロッパの人々に伝えられていくのだが、しかしあくまでも極秘の最新鋭兵器であり、その詳細な姿は写真はもちろんイラストでも紹介されることはなかった。ましてや、平面図など民間人のルイ・カルティエが見ることは絶対できなかったはずである。しかも「ルノー製の戦車」の最初の「FT-17」が実戦投入されたのは、1918年5月31日のレッツの森の戦いなのだ。
となると、ルイ・カルティエがルノー製の戦車の平面図からインスピレーションを得て1917年にプロトタイプが製作された、というのはありえない。筆者はそれに気付いたのである。
では、真相はどうなのか?
フランコ・コローニ著の『THE CARTIER TANK WATCH』は、時計好きなら必ず読んでおきたい良書である。これまで3度出版され、その都度大きく書き直しがされているところも、たいへんに興味深い。第3版の序文によると「初版本は体系的なカタログ」、第2版は「イコノグラフィを充実させたスペクタクルとして編纂」、第3版は「ストーリーとビジュアルを通して、尽きることのない創造性と変わることのない本質を持ち合わせながら時代を歩んできたひとつの時計に捧げる頌歌」とされている。もし未読であれば、できれば3冊揃え、読み比べていただくことをおすすめしたい。
その1997年の初版『カルティエ 伝説の時計タンク』にはこう記されている。
「カルティエに伝わる伝承によると(中略)ルイ・カルティエが、戦時中の1917年にデザインしたこのプロトタイプのケースのフォルムは、ルノー製の戦車の平面図からインスピレーションを得たとされている」
筆者が「戦車の平面図」を鵜呑みにしたのは、この記述が大きい。ほかならぬコローニの著書だからだ。
だが、おそらくコローニも、ある時点で気付いたのであろう。2012年の第2版『Cartier The Tank Watch Timeless Style』では、1916年9月15日のソンムの戦いで初めてイギリスの戦車「Mark.Ⅰ」が実戦投入されたこと。その翌日の16日に『ル・フィガロ』紙を初めとする各マスコミがこぞってこのニュースを報じたこと。そして戦いの終結した2週間後に、やっと初めてタンクの姿がイラストと2枚の写真により紹介されたことなどを詳細に述べた上で、こう記している。
「このデザインが、12月2日土曜日発売の『イリュストラシオン(L'Illustration)』に掲載されていた第一線部隊に関する特集から着想を得たと考えるのは妥当なことである。1843年に創刊されたこの有名な絵入り週刊新聞が伝える戦争の写真が、皮肉にも閃光のようなひらめきとなった」
さらに2017年の第3版では、こうも記している。
「人々が、抑えきれない好奇心とともに、イラストによる戦車の姿を初めて見ることができたのは、ドイツ軍が敗北した後の、12月になってである。“タンク”と名付けられた、イギリス製のこの無限軌道駆動式装甲車は、絶対に打ち破ることは不可能であろうという強烈な印象を人々に与えた。そしてルイ・カルティエは、この無限軌道の力強いラインからヒントを得た時計のデッサンを描いた。その形が、これから時代を超えていくことになる、同名のタンク ウォッチの最初のデザインである」
つまり「タンク」は、ルイ・カルティエがイギリスの戦車のイラストと写真からインスピレーションを得てデザインした。それが今日での公式な見解なのだろう。
Cartier Archives. Paris.
《 タンク初期モデルのケースの設計図。極めて簡潔で直線を強調したデザインに加え、上下を合わせるというケースの構造が見て取れる。 》
だが、しかし、実は、筆者はこうも思っている。
「タンク」は本当に戦車から着想を得たのだろうか、とだ。
「タンク」の最大の特徴は、ケースの簡潔なデザインである。四角形のケースの左右を上下に伸ばし、そこにベルトを付けた。つまりラグさえ必要とせず、腕時計の機能を満たした。「タンク」の簡潔な構成は、完璧な「腕時計のかたち」なのである。
そして、そうした機能をデザインに昇華した手法は、ドイツの芸術運動「バウハウス」に通じる。また、機械的な造形はイタリアの「未来派」を思わせる。明快な幾何学的なかたちによる表現は、オランダの建築家と画家らが興した「デ・ステイル」に通底する。さらに「タンク」の直線性の強調や白と黒の対比は、その直後に世界を席巻する「アール・デコ」を先取りしたものといってよいだろう。
すなわち「タンク」は、その当時のさまざまな芸術の様式を体現する時計デザインの秀作であり、それ以前に全デザイン史においての傑作であるのだ。
だから戦車の逸話は、後から考えたストーリーだったのではないか。創案したデザインが、たまたま戦車に似ていたため、「タンク」と名付けて戦車の物語を付け加えた。そんなふうに思うのだ。
だが真実がどうであれ、「タンク」が歴史に残る名作であることは間違いない。そして「タンク」がいまも当時のほぼそのままでつくられ続けていること。それが我々時計好きにとっての素晴らしい現実であることを率直によろこびたいのである。
Vincent Wulveryck © Cartier
《 タンク ソロ 「タンク」のデザインを踏襲しつつもモダナイズされた現行モデル「タンク ソロ」。ケースの上面と側面をフラットに仕上げたことでよりスポーティーな印象を与える。自動巻き(Cal.049MC)。23石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約40時間。SS(縦40.85×横31mm、厚さ7.65mm)。日常生活防水。36万円(税別)。 》
福田 豊/ふくだ・ゆたか ライター、編集者。『LEON』『MADURO』などで男のライフスタイル全般について執筆。webマガジン『FORZA STYLE』にて時計連載や動画出演など多数。 Contact info: カルティエ カスタマー サービスセンター Tel.0120-301-757
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