ローンチ当初から、ハイコンプリケーション搭載用のプラットフォームとしての性格も持っていたCODE 11.59。セカンドシーズンとなった2020年には、その最高峰に位置付けられる1本が登場した。2016年に特許を取得したスーパーソヌリ テクノロジーに、伝統的なグランドソヌリのメカニズムを初めて組み合わせ、そのダイアル製作をアニタ・ポルシェが担った。計5本が製造されるそれぞれが、ダイアルの異なるユニークピースとなる。
星武志:写真 鈴木裕之:取材・文 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas), Text by Hiroyuki Suzuki 2020年12月発売の1月号掲載 掲載価格は2020年12月3日現在のものです。
メティエダールとコンプリケーションの融合 ~アートピースとしてのCODE 11.59~
2019年のファーストローンチ時点で、次世代ハイコンプリケーションのプラットフォームという性格を持たされていたCODE 11.59。セカンドステージを迎えた20年のハイライトは、新しいハイコンプリケーションが、メティエダールとの融合を果たしたことである。新作「CODE 11.59バイ オーデマピゲ グランドソヌリ カリヨン スーパーソヌリ」は、当代随一のエナメル作家であるアニタ・ポルシェとのコラボレーションで製作される、5本限定のアートピースだ。〝三部作〞とされるアニタ・ポルシェ作のパイヨンに加え、残りの2本は彼女のアトリエにオーナー自身がオーダーするというシステムになる。
《 Cal.2956 2020年初出。16年に特許を取得(発表は15年)したスーパーソヌリ テクノロジーに、伝統的なグランドソヌリのメカニズムを搭載。スーパーソヌリ自体は、音響効率を追求したインナーケースの構造を指し、従来はこれにミニッツリピーターが組み合わされてきた。このインナーケース自体が、音質・音量に影響を与えるキーデバイスとなるため、新規に開発された3ゴングのムーブメント本体も、まったく同じサイズ感で完成させることが求められた。直径29.9mm、厚さ5.88mm。53石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。 》
なぜアニタ・ポルシェが当代随一のエナメル作家と評されるのか? それは彼女がロストテクノロジーの継承者だからだ。19世紀に隆盛を極めたスイスエナメルは、時計産業の急速な工業化とともに、1970年代を最後に一度は途絶えてしまった伝統技術だ。機械式時計の復権とともに需要が増大した現在では、独自の手法でエナメルのリプロダクトに取り組む工房も増え、品質も格段に安定してきたが、それらはかつてのエナメルとは本質的に異なるとも言える。手法だけの問題ではなく、釉薬そのものの品質が往時と異なるからだ。
《 アニタ・ポルシェの工房で製作される“三部作”のダイアル。ダイアルエボーシュはゴールド製。エナメル工芸は釉薬を高温焼成した際の酸化反応で色合いが決まるため、当然ベースダイアルの素材も発色に影響する。 》
ジュネーブエナメルと呼ばれた本物のミニアチュール(エナメル細密画)に用いられた金属釉は、現在では入手することすら困難なため、陶器の絵付けに用いる陶釉で代用することがほとんど。単色のソリッドエナメルならそれでも良いが、これがアートピースともなれば事情は変わってくる。アニタ・ポルシェは12歳の時に親戚のエナメル作家に才能を見出され、美術学校に通いながら、ジュネーブエナメルのアーティストとして特に著名なスーザン・ロウやメイ・メルシェたちから実践的な訓練を受けた。最初に仕事を手掛けたのは75〜76年頃というから、彼女の場合は失われた技術の復権者ではなく、最後の継承者なのである。それは技術だけでなく、使われる素材にも現れる。例えば三部作に用いられたパイヨンは、エナメルの中に金箔を封じ込める彼女お得意の技法だが、使われる金箔はオールドストックの型抜きだ。現在作られているパイヨンの箔はレーザーカットされたものが主流だから、これだけでも仕上がりの雰囲気が大きく変わってくる。さらに言えば、新緑を映した湖面のように緑がかったブルーエナメルの釉も、鉛などを含んだ、現在ではご禁制の品だろう。発色の違いは一目瞭然だが、念のために付け加えておくと、一度焼き上がってしまえば、重金属などの成分による害はまったくない。
《 パイヨン装飾の作業風景。シャンルベ状に成形されたダイアルエボーシュに釉を盛って高温焼成し、ブルーグラデーションの下地を作る。その上にパイヨン(型抜きされた金箔)を並べ、フォンダンと呼ばれる透明釉(上薬)をかけて、箔をダイアル内に封じ込める。最終的な色合いも含め、エナメル工芸には偶然の要素が多いとされるが、実際には作業前に行うデータ収集が仕上がりを左右する。 》
アニタ・ポルシェがエナメル工芸の大家なら、オーデマ ピゲはストライキングウォッチの大家だろう。1875年に創業して以来、オーデマ ピゲは超複雑時計を専門に製作してきた。そのため近年までプロダクトのすべては一品製作で、シリーズ生産を意味するリファレンスナンバーが設定されたのも1951年からと極めて遅かった。ストライキングウォッチは、オンデマンドで時/クォーター/分を鳴らすミニッツリピーターと、決まった時刻に打鐘するソヌリに分けられるが(毎正時とクォーターを打つものをグランドソヌリ、毎正時のみをプチソヌリと呼ぶ)、19世紀のオーデマ ピゲにとってソヌリ懐中時計は代表作のひとつだった。1882〜92年に製作された1625個の懐中時計のうち、半数以上がソヌリを搭載していた(グランドソヌリは28個)という記録もあるほどだ。1892年にはルイ・ブラン&フレール(後年のオメガ)と共同で初のミニッツリピーター腕時計を開発。1957年までに35本が製作されたという。さらに1980年代には、同じジュウ渓谷に住む独立時計師フィリップ・デュフォーを支援して、87年に5個のグランドソヌリ懐中時計を製作。94年には同社初のグランドソヌリ腕時計を完成させている(2002年までに188本を製造)。
《 工房にストックされた釉薬の中には、現在では入手不可能なものも多く、細密画などに用いる金属釉や、型押しのパイヨンなど、ほとんどが1970年代以前のデッドストック。独特な作風が生まれる要因のひとつだ。 》
新たにCODE 11.59に搭載された「キャリバー2956」は、こうしたグランドソヌリ腕時計の伝統技術と、2015年に開発されたスーパーソヌリ テクノロジーを融合させたものだ。ちなみにオーデマ ピゲが特許を持つスーパーソヌリとは、EPFL(スイス連邦工科大学ローザンヌ校)との提携で開発された、ストライキングウォッチの音響・音質を改善するインナーケースを指し、どんな形状の時計にも搭載可能という利点を持っている。少し紛らわしいが、従来のスーパーソヌリと組み合わされていたのはミニッツリピーターであり、今回初めて、グランドソヌリと組み合わされたのである。しかもその打鐘機構は、3ゴング/3ハンマーを備えた上位機構であるカリヨンだ。高音が時、低音が分(ミニッツリピーター作動時のみ)を担当し、クォーターでは3音が打鐘される。2時位置のリュウズがGS/PS/サイレントの切り替え、10時位置のプッシャーがミニッツリピーターの作動用だ。
カリヨンを組み合わせたスーパーソヌリは、現代の同社でも屈指の超複雑機構だ。それに華を添えるのがアニタ・ポルシェのエナメルなのだから、歴史に名を刻むアートピースとなるに違いない。
《 CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ グランドソヌリ カリヨン スーパーソヌリ アニタ・ポルシェによるダイアル3種と、オーダーメイド2本が製作されるユニークピース。カリヨン仕様のグランドソヌリを、特許取得のインナーケースに収める。手巻き(Cal.2956)。18KWG(直径41.0mm、厚さ13.5mm)。20m防水。世界限定5本。時価。 》
続きを読む...