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唯一無二の存在感、ジャガー・ルクルト「アトモス」の進化の歴史

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  • 唯一無二の存在感、ジャガー・ルクルト「アトモス」の進化の歴史


    ジャガー・ルクルトの置き時計「アトモス」は、気温の変化を動力源として半永久的に動き続ける機械式ムーブメントを搭載し、1928年から時計とデザインの限界に挑戦してきた。その魅力的な歴史とアバンギャルドな進化を紹介しよう。

    《 「アトモス 568 BY マーク・ニューソン」。機械式(Cal.568)。バカラクリスタル(縦265X横230mm、奥行き147mm)。310万2000円(税込み)。 》
    Originally published on watchtime.com Text by Mark Bernardo 2021年4月14日掲載
    ほぼ半永久的に稼働する置き時計

    腕時計の前には懐中時計の、そして懐中時計の前には置き時計の時代があった。古い時計メーカーには携帯可能な小型の機械式時計開発の歴史があり、また独自の技術を開発してきたところもあった。あるいは時計といえば腕時計が主流である21世紀の現在に、腕時計製造と同じように機械式の置き時計製造に力を注ぎ続ける時計メーカーもある。
     ジャガー・ルクルトの「アトモス」は、電気式とも機械式とも異なる、全く別の存在の置き時計だ。ジャガー・ルクルトの第一の使命は腕時計製造であるが、彼らは毎年限られた台数ながらにアトモスの製造を続け、1928年からの歴史を紡いでいる。最近のモデルでは、ジャガー・ルクルトのデザインチームと、Apple Watchの共同デザイナーであるマーク・ニューソンなどのアーティストとのコラボレーションや、エルメス、バカラ、アルフレッド・ダンヒルなど、世界的に有名な高級ブランドとのコラボレーションが実現している。

    《 1928年製のアトモスのプロトタイプ。 》
    アトモスの原理はシンプルであるが、開発当時の技術力を考えるとその実現が困難だったことは明らかだ。時計は密封されたカプセルの中に充填された混合ガスの中にあり、カプセルは気温の上昇にともない膨張し、下がると収縮し、これに連結したパーツがゼンマイを巻き上げる。このパーツの上下動がアコーディオンのふいごを動かすようにムーブメントを効率的に巻き上げる。気温がプラスマイナス1℃変化するだけで、時計の稼働時間2日間に相当する。これは、一般的な腕時計のムーブメントのテンプが例えば1分間に480回振動するのに比べて、1分間に2回しか振動しない非常に遅いテンプによるものだ。輪列は注油の必要がなく、そして事実上ほぼ半永久的に稼働するのである。昨今、環境保護がよく話題に上がるようになるずっと前から、アトモスは環境に優しい存在であった。ジャガー・ルクルトによると約6000台のアトモスが消費するエネルギーは、15ワットの電球1個に匹敵する。特許はずいぶん前に切れているが、ジャガー・ルクルトは現在この技術を置き時計作成に採用している唯一の時計メーカーである。

    プロトタイプの誕生

    1920年代、スイスのエンジニア、ジャン=レオン・ルターは、機械や電気を必要とすることなく動き続ける「パーペチュアルモーション時計」の開発に生涯をかけていた。そしてわずかな気温差や気圧差によって巻き上げを行うムーブメントのプロトタイプ開発を実現し、環境変化に反応しやすい物質として知られていた水銀とアンモニアを含む気体を充填させたガラスのカプセルを備えた自身の発明による時計を「アトモス」と名付けた。このガラス製カプセルが、金属製のふいごと組み合わせられ、主ゼンマイを巻き上げて時計を動かすのである。ルターは最初の実用的なモデルを、勤務先のフランスの会社CGR(Compagnie Générale Radio社)で作り上げている。
     後に「アトモス1」と名付けられるこの時計から、アトモスの歴史は始まった。時計ショップのショーウィンドウを眺めていたスイスのルクルト社のジャック=ダヴィッド・ルクルト(エドモンド・ジャガーと彼のパリの時計会社はまだルクルトと合併しておらず、当時はまだ競合関係にあった)の目にこの「アトモス1」が留まり、ルクルトがこれを購入したという話がある。その後、ルクルトはルターから特許を取得し、アトモスの技術的な完成度を高めると同時に、マーケティング戦略を展開して、この革新的な時計を世界中に広めることに成功したのである。

    《 1930年に作られた「アトモス1」。 》

    アトモス2の発売

    1936年には、カプセル内の水銀を塩化エチルという安定した飽和ガスに置き換えた、いわゆる「アトモス2」が発売された。これらの初期モデルは技術的な問題を抱えていたため、本格的な生産が開始されたのは1939年になってからである。その間、1937年にはジャガーとルクルトが合併して現在の会社になったため、アトモスはこれ以降ジャガー・ルクルトの製品として知られることとなった。ジャガー・ルクルトのヘリテージ・レアピース部門のディレクターであるステファン・ベルモンによると「アトモスを今日のような形に再開発したのはルクルトである。よりコンパクトな設計をし、気圧の変化ではなく温度差によってのみ動くものとした。ムーブメントが適切に稼働するために、時計を完全な密封状態にする方法も見いだしている。結果としてルクルトはムーブメント全体の設計を見直し、生産体制を確立した」ということだ。
     1930年代にファーストモデルが発売されて以来、アトモスがほぼ継続して生産されているのは、アトモスの発明性、デザイン性、そしてジャガー・ルクルトの熱意の賜物である。これは1970~80年代のいわゆるクォーツ危機などにも耐えたことを考えると驚くべきことだ。アトモスが長く愛された理由のひとつは、1950年代から80年代にかけて、スイス政府からアメリカ大統領をはじめとする各国首脳への公式贈答品として高い評価を得ていたことにあるだろう。

    《 1942年のアトモスの広告。 》
    「アトモスは"大統領の時計"と呼ばれるようになった」とベルモンは言い、「当時の大統領執務室の写真を見ると、背景のどこかにアトモスが写っていることが多い。大統領やローマ法王、著名な俳優がスイスを公式訪問する際には、必ずと言っていいほどアトモスが1台贈られていた。それはスイスの時計製造を示す象徴だったからだ」と続けた。
     アトモスを受け取ったVIPのリストは20世紀の歴史上の著名人リストに他ならない。その一部を挙げるだけでも、ヨルダンのフセイン国王、英国のエリザベス女王やウィンストン・チャーチル、フランスのシャルル・ド・ゴール、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディやロナルド・レーガン、アメリカの俳優チャールズ・チャップリン、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世などの名前が見られる。
     もちろんジャガー・ルクルトのブランド名を冠した置時計は、単なる置時計以上のものであるが、その裏ではジャガー・ルクルトの最も人気のある腕時計に匹敵する注力が注がれているのである。ジャガー・ルクルトがアトモスのスペシャルエディションを生み出す時に、才能あるデザイナーとコラボレーションすることは1970年代に端を発する一種の伝統となっている。ドイツの工業デザイナーでフィアット、アルファロメオ、BMWなどの車のデザインで有名になったルイジ・コラーニは、1973年のジャガー・ルクルト製528/1ムーブメントを搭載した「アトモス・モデルヌ」を手掛けた。ステンレススティール製の立方体の中に四角い文字盤と黒い針を配したモデルは、それまでの透明ケースと丸い文字盤のモデルとは一線を画していた。
    《 ルイジ・コラーニによる「アトモス・モデルヌ」。 》



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