2018.03.03 過去ブログからの移管
金子時計店の2代目と3代目(私の祖父)がやっていた時代の、祖母が数百回と話してくれたお話しです。
3代目のお嫁さん選びは完全に2代目店長の奥さんが握っていました。
金子時計店2代目店長。
まず、2代目店長の奥さんは「信心深い人に悪い人はいない。」という考えでお寺に通い、
そこに来る若い女性たちを品定めしました。
祖母は熱心な浄土真宗信者で、しょっちゅうお寺に行っていました。
私が小さい頃は住職さんの説法をカセットテープに録音し、家でも常に聴いていました。
孫たちも毎朝仏壇に手を合わせ、念仏は一冊記憶するくらい唱えさせられました。
それくらい信心深くいつも仏さんと一緒と言って幸せそうに笑っていたので、金子時計店の奥さんの目にとまったのでしょう。
祖母は奥さんもお寺に通われていたことで信頼し、結婚後もお寺に行かせてもらうことを条件に結婚しましたが、
結婚が決まってから奥さんは一度もお寺には行かれなかったそうです^^;
そうです、奥さんはお嫁さん探しのためだけにお寺に通っていたわけです((+_+))
少なくとも当時の奥さんのあの考えが間違っていなかったのか、見る目があったのか、
2代目の奥さんが祖母を選んだのは正解だったと、祖母を見ては思いました。
とても正直で優しくて欲がない家庭的な女性だったからです。
2代目がやってた頃の修理料金表。大正15年。
代々伝わるセイコー特約店の看板。
晴れて3代目・良雄と嫁・千代子が結婚し金子時計店で同居生活が始まりました。
同時に、先代による嫁としてふさわしいかどうかの次なる選定も始まりました。
3代目の嫁が「欲深くないかどうか」ということが先代の奥さんは気になりました。
お店には貴金属、時計、現金と金目のものが多く置いてあるため、それを持ち出しやしないかという恐怖心があったようです。
祖母が家中掃除していると、毎日のようにあちらこちらに千円札が置かれていたと、
それは先代の奥さんがわざと置いていたのもで、それを報告するか黙って取るか試していたんですね。
正直者の祖母はそれを知ってか知らずか、
「あら、こんなとこに千円札があったですよ~」と言って義母に毎回渡したのだそうです。
おそらく一度でも渡さないことがあれば即効家を追い出されていたでしょう。
次に奥さんが気になったのが「体が弱いこと。」
商売人の嫁として強い身体でないといけないという考えでした。
祖母が具合が悪くて朝寝込んでいると、「朝だ朝だー!!」と言ってバンバン戸を叩いて起こされたと(+o+)
(今だったらパワハラか何かと言われそうですが・・)
素直な祖母は「どうしたら風邪ひかんようになりますか。」と義母に訊き、
「お風呂で身体中タワシでこすると身体が強くなる。」と言われ、
どんなに寒い日も毎晩硬いタワシでシャーシャーとこすっていました。
そのおかげで滅多に病気しないと義母に感謝すらしていました。
そんな厳格な2代目の奥さんが一番喜んでくれたのが、祖母の三男(私の父)が時計屋をする!と宣言した時だそうです。
長男も次男も「時計屋は好かん!」と言って家を出て行き後継者に悩まされていた時に、
遊び人の三男が突然、俺が時計屋する!といったもんで、「あん時はそりゃぁ喜ばれたよ~」と嬉しそうに言っていました。
あまりにも喜んで、三男に当時欲しがっていた高価なステレオを買い与えたくらいでした。
祖母の推測だと三男の私の父は勉強をしたくなかっただけなのですが、
それでもちゃんと丁稚奉公へ行き数十年間時計屋をやって父は立派に約束を果たしています。
祖母と20歳の頃の私。
妹たちも私も耳にタコができるくらい聞かされた話ですが、祖母の口から義母の悪口や不満、愚痴は一度も聞いたことはありません。
祖母は私が知る中で一番強い女性です。
今も時計屋になることを応援してくれた祖母のことを思い出すだけで泣けてきます。いいぇ、酔ってる訳ではありません(笑)
よくよく読んでたら、何だか、また新たな時計が欲しくなりました(笑)
しかし・・・・20歳のジュンコ店長可愛い♪(今もだけど)